尊敬するアレック・イシゴニス・・
 

ミニの生みの親「イシゴニス」

 アレック・イシゴニスは、1906年ギリシャ領スミルナで生まれたイギリス人である。アレックの幼少時代は裕福だったイシゴニス家も、第1次世界大戦中、大戦後は苦難の時代がつづき、アレックは15歳の時に母とともにイギリスに移り住む事となる。そこでアレックは機械工学を学び、1928年、ジレット社のロンドン・デザイン事務所において設計者としてのスタートを切る。そこではオートマティックトランスミッション関係のシステムを考案していたが、残念ながらそのアイデアが実を結ぶことはなく、彼は2番目の会社であるハンバー社へと移り、イギリスでは当時ほとんど一般 化していなかったフロント独立懸架サスを試作した。

 趣味でレースに関わり始めたのもこの頃で、ヒルクライムやスプリントレース用のスペシャルマシーンを制作する。このマシーンは、モノコックボディや四輪独立懸架、ラバースプリングを備えるなど、当時としては進歩的なアイデアが数多く盛り込まれており、このときの経験が、その後の彼の自動車設計者としての人生に大きく影響したことは間違いない。

   1963年、アレック・イシゴニスは当時英国最大の自動車メーカーだったモーリス社に移る。そこではサスペンションの設計に携わり、生産車に対するフロント独立懸架の可能性や車の方向安定性を高めるためには、フロントタイヤにかかる荷重を増やすことが重要であることを学ぶ。また同時に、アメリカ的な細分化された専用チームでの開発による、車づくりへの弊害も実感したのである。このことによって、イシゴニスは一つの車を開発するためには、ある意味カリスマ的存在といえる人物が中心となること、そして開発チームは少人数であったほうがよい、という信念を持つようになっていく。彼の手がけたミニやモーリス・マイナーがごく少人数のスタッフによって開発されたという事実は、まさにイシゴニスの理念にほかならない。
   
  ※ネコパブリッシング発刊「MINI」より抜粋
   
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